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ジオ・ストームとPAネロ——日本で3,100台、北米で28万台売れた日本車
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ジオ・ストームとPAネロ——日本で3,100台、北米で28万台売れた日本車

いすゞ藤沢工場で生産されたジオ・ストームは北米で28万台を販売。同じクルマの日本版PAネロはわずか3,100台。GMといすゞの提携が生んだ、日本人の知らない日本車の物語。

神奈川県藤沢市のいすゞ自動車藤沢工場。1990年から1993年にかけて、この工場のラインからあるスポーツクーペが送り出されていた。4年間で約28万台が生産されたそのクルマの名は、ジオ・ストーム。ほぼすべてが太平洋を渡り、北米のGMディーラーに並んだ。

同じクルマが日本でも売られていた。いすゞ PAネロという名前で、輸入車ディーラーのヤナセが取り扱った。しかし4年間の国内総生産台数はわずか約3,100台。北米での累計販売約28万台と比べると、その差は実に90倍以上になる。

日本で生まれ、日本人の手で組み立てられながら、日本人にはほとんど知られていない。ジオ・ストームとPAネロは、そんな不思議な存在だ。

ジオ・ストーム外観
出典: Wikimedia Commons

ジオ・ストームとは何だったのか

ジオ・ストームは、GMが1989年に立ち上げたサブブランド「Geo」のラインナップに属するスポーツクーペだ。Geoブランドは、1980年代後半に北米市場で急成長していた日本車に対抗するためにGMが編み出した戦略の産物だった。

発想はシンプルだ。日本メーカーの品質とGMの販売網を組み合わせる。トヨタからはプリズム、スズキからはメトロとトラッカー。そしていすゞからストームが供給された。Geoブランドは全5車種を展開し、1989年から1997年の間に約80万台を販売している。

ストームのベースになったのは、2代目いすゞ・インパルスだ。日本ではピアッツァの名で知られるスペシャルティクーペのプラットフォームを使い、北米市場向けにコストを最適化したモデルとして仕上げられた。

1990年の発売当初、ベースモデルの価格は10,390ドル。当時のレートで約150万円だ。1.6LのSOHCエンジンで95馬力と控えめだが、車重がわずか約1,035kgと軽量だったため、日常の足としては十分に軽快だった。

1990年代のジオ・ストームGSiがアメリカ郊外の道路を走るイラスト

走りで証明したGSiの実力

ストームの真価を発揮したのは、上級グレードのGSiだ。

1990〜1991年型のGSiは1.6LのDOHCエンジンを搭載し、130馬力を発生した。0-100km/h加速は約8.0秒。1992年にはエンジンが1.8Lに拡大され、140馬力へとパワーアップ。0-100km/h加速は約7.1秒に縮まった。

Car and Driver誌が行った11台のスポーツクーペ比較テストでは、加速と最高速で3位タイ、コーナリング性能で1位タイという成績を収めている。スキッドパッドでの横方向加速度は0.81〜0.85gに達し、同時期のマツダRX-7コンバーチブルに匹敵する数値だった。

Sport Compact Car誌は1992年のトップ10に選出。Autoweek誌は「Slick, Quick And Inexpensive(洗練されていて、速くて、安い)」と評した。安くて速くてカッコいい。北米の自動車メディアは、このクルマを素直に認めていた。

グレード年式エンジン出力0-100km/h価格(米国)
Base1990-911.6L SOHC95hp$10,390(約150万円)
GSi1990-911.6L DOHC130hp約8.0秒$11,650(約170万円)
Base1992-931.6L SOHC90hp
GSi1992-931.8L DOHC140hp約7.1秒$13,645〜(約190万円)
出典: YouTube

GMがいすゞと手を組んだ理由

GMといすゞの関係は1971年にさかのぼる。GMがいすゞに資本参加し、提携が始まった。

1980年代、北米では日本車の存在感が急速に増していた。品質が高く、燃費がよく、価格も手ごろ。アメリカの消費者は日本車を選び始めていた。GMにとって、正面から対抗するには開発コストも時間もかかる。そこで選んだのが、日本メーカーのクルマをGMのバッジを付けて自社のディーラーで売るという方法だった。

Geoブランドの存在は、当時のアメリカ自動車産業の力学を映している。GMほどの巨大企業が、小型車の分野ではトヨタやスズキ、いすゞの力を借りなければ戦えなかった。ストームの販売実績は、その判断が間違っていなかったことを証明した。初年度の1990年には約86,000台が売れた。

ストーム以前にも、いすゞはシボレー・スペクトラムとしてジェミニベースの車両をGMに供給しており、OEM供給のパートナーとしての実績があった。

日本に残ったもうひとつのストーム——いすゞPAネロ

北米でストームが好調に販売される一方、同じクルマは日本でも販売されていた。いすゞ PAネロだ。

PAネロは、いすゞが輸入車ディーラーのヤナセに専売モデルとして供給していたピアッツァ・ネロの後継にあたる。1990年5月に販売を開始した。

注目すべきは、PAネロのほうがストームよりスペックが充実していた点だ。ストームのベースモデルが1.6L SOHCの95馬力だったのに対し、PAネロは標準で1.6L DOHCの140PSを搭載していた。レッドゾーンは8,000rpm以上。1トン前後の車体に140PSのDOHCエンジンは、スペックだけ見れば刺激的なスポーツクーペだった。

さらに上には、イルムシャー160Rというグレードが存在した。1.6L DOHCターボで180PSを発生するこのモデルは、ストームには設定のなかったターボエンジンを積んでいた。200台限定の「ハンドリング・バイ・ロータス」仕様も用意され、英国ロータス社がサスペンションをチューニングした特別なモデルも存在した。

しかし、月販目標300台に対して、4年間の総生産台数は約3,100台にとどまった。月平均で65台ほど。ヤナセ専売という販路の狭さに加え、1990年代初頭の日本市場はバブル崩壊の余波で高額なスペシャルティクーペの需要が急速に縮小していた時期でもある。

項目ジオ・ストーム(北米)PAネロ(日本)
販売期間1990〜1993年1990〜1995年
累計販売台数約28万台約3,100台
販売チャネルGMディーラー(Geoブランド)ヤナセ専売
ベースエンジン1.6L SOHC 95hp1.6L DOHC 140PS
ターボ設定なしあり(180PS)
ロータスチューンなし限定車あり(200台)
いすゞ PAネロ クーペ
出典: Wikimedia Commons

兄弟車インパルスRSという頂点

ストームとPAネロの兄弟車であるいすゞ・インパルスには、さらに上のモデルが存在した。1991年のみ生産されたインパルスRSだ。

1.6Lターボエンジンで160馬力。AWDシステムは前43:後57というリアバイアスのトルク配分を持ち、ロータスがチューニングしたサスペンションに加え、いすゞ独自のNISHIBORICと呼ばれるパッシブ後輪操舵機構を備えていた。0-100km/hは約6.7秒。

全世界で約800台が生産され、うち約600台が北米に渡った。5速MTのみの設定。現在ではオークションで1万ドルを超える価格が付くこともある希少モデルだ。

ストームにはこのターボエンジンもAWDもロータスサスペンションも与えられなかった。コスト削減のためだ。しかしベースの素性が同じであることを考えると、ストームの走りのよさもまた、このプラットフォームの設計品質に裏打ちされていたことがわかる。

1991年型いすゞ・インパルス RS ターボ リアビュー
出典: Wikimedia Commons

藤沢工場で終わったいすゞ乗用車の時代

1993年、いすゞは乗用車の自社開発と生産からの撤退を決定した。バブル経済の崩壊が直接の引き金だった。

ストームは1993年で生産を終了。Geoブランドには後継のスポーツクーペが投入されることはなかった。PAネロは1994年12月に生産を終了し、1995年1月に販売も打ち切られた。いすゞが開発した乗用車として、最後期のモデルのひとつとなった。

以後、いすゞはトラックと商用車に経営資源を集中させ、現在に至る。ジェミニ、ピアッツァ、ベレット、117クーペ。いすゞの乗用車には個性的で魅力ある車種が多かったが、ストームとPAネロはその最終章に位置するクルマだ。

Geoブランドも1997年に廃止され、メトロ、プリズム、トラッカーはシボレーブランドに吸収された。日本車をリバッジするという大胆な戦略は、約80万台の販売実績を残して幕を閉じた。

日本人の知らない日本車が伝えること

2010年の時点で、北米で登録が残っているストームは約40,300台。30年以上が経った現在、路上で見かける機会はさらに少なくなっているだろう。

しかしこのクルマの存在は、ひとつの事実を静かに伝えている。日本の工場で、日本人の手によって作られたクルマが、海の向こうで何十万人もの日常を支えていたということ。そして日本では、そのことをほとんど誰も知らなかったということ。

クルマの価値は、国内での知名度では測れない。藤沢工場を出たストームたちは、北米の若者にとって初めてのスポーツカーだったかもしれない。通学や通勤の相棒だったかもしれない。安くて、速くて、壊れにくい。日本車の美点を体現しながら、GMのエンブレムを付けて走り続けた。

名前は違っても、作ったのは同じ人々だ。ジオ・ストームという名を知らなくても、このクルマが日本の自動車産業の一部であったことに変わりはない。

ジオ・ストームはどこで生産されていたのか

いすゞ自動車の藤沢工場で生産されていた。神奈川県藤沢市に所在する工場で、ストームの全量がここで製造され、そのほぼすべてが北米に輸出された。

ジオ・ストームといすゞPAネロの違いは何か

基本設計は同じだが、仕様が異なる。ストームのベースモデルは1.6L SOHCの95馬力だったのに対し、PAネロは標準で1.6L DOHCの140PSを搭載していた。さらにPAネロにはターボモデルの180PS仕様やロータスチューンの限定車も存在したが、ストームにはいずれも設定されなかった。

なぜジオ・ストームは日本で知られていないのか

ストームはGMのGeoブランドとして北米専売だったため、日本では販売されなかった。日本版のPAネロはヤナセ専売で販売チャネルが狭く、4年間で約3,100台しか売れなかったため、日本での知名度はきわめて低い。